山陽リレーコラム「平井の丘から」

日本との出会い(班 偉)
[2018年8月2日]

掲載日:2018年8月2日
カテゴリ:言語文化学科

 1970年代初頭、文化大革命の嵐が中国全土を吹き荒らす中、中学生の私は乱読に耽る日々を送っていた。ある日、『少年時代』『創造十年』など郭沫若の自伝を読んでいると、思わず旧制六高留学の追憶に惹き付けられてしまった。あ~、遠い国・日本に岡山という町があり、岡山には旭川や後楽園がある。え~、若き日の文豪が旭川畔の下宿で大和撫子と駆け落ち同然に暮らし始めたって......遥か海の彼方へ思いを馳せた。

 高三の時(76年9月9日)、毛沢東が病死した。文化大革命も徐々に終息に向かうが、高校を出た直後、安徽省の片田舎に強制移住された。運よく大学入試に合格し、78年9月、安徽師範大学歴史学部に入学した。同年8月に日中平和友好条約が締結、10月に鄧小平が日本公式を訪問、12月には「改革・開放政策」が登場......、今思えば、「開国」という歴史的転換期に巡り合った。折しも高倉健主演の映画が解禁され、中国各地で「日本ブーム」を巻き起こしていく。当時の大学はまだ日本語科目がなくて、ラジオ日本語講座を聞きながら独学を始めた。やがて飽き足りず、大学図書館にある日本関連の書物を読破し、勢い卒論テーマを「明治啓蒙思想の構造」という物々しいものにした。

 卒業後、もっと明治維新について勉強したいと思って、天津にある南開大学大学院日本史専攻修士課程に進学した。そのまま博士課程へ進み、東京女子大学から来られたT教授の集中講義も聴講させてもらった。「班君、日本に留学したいか?」--、T教授が帰国前にかけてくれたこの一言が人生の転機となった。1987年3月6日、私は来日し、岡山大学文学部日本史H教授の門下生になった。

 光陰矢の如く、往事夢の如し。

日本関連の書物

水曜日の歌声(スティーブンM.ライアン)
[2018年7月9日]

掲載日:2018年7月9日
カテゴリ:言語文化学科

 毎週水曜日の3時ごろから、歌声が学生ホールから研究室に聞こえてきます。時期によって、音が変わります。K-POPの時期があって、応援団の楽曲もあります。7月から8月になると、うらじゃ踊りの音楽が聞こえてきます。

長年日本に住んでいても、去年、岡山に引っ越すまではうらじゃ踊りについては聞いた事がありませんでした。昔、大阪府河内長野市に勤めたときには「河内音頭」をよく聞きました。友達の結婚式で福岡県田川市の「炭坑節」をグループで踊った経験もあります。テレビで毎年徳島の阿波踊りを見ます。日本の伝統文化が各地方に生き生きとしています。

 大体、外国人向きの説明には「日本の伝統文化」という発言は単数の意味で使われていますが、各地方の踊りの伝統の例を見ると日本の伝統文化は複数であるとはっきり分かります。このことが初めて分かったのは、あるお正月に大阪府北部のおせち料理を食べながら、テレビで東北地方のおせち料理を紹介するテレビ番組を見た時です。大阪と東北のおせち料理で、似ている食べ物は一つもありませんでした。同じ「おせち料理」という名称が幅広い食べ物だということが分かります。

 去年の7月に、研究室の窓から学生のうらじゃ踊りの練習を見ながら、よく考えました。「おせち料理」や「伝統文化」という名称を簡単に受け取るより、蓋を開けてその食べ物または文化活動の内容を確認したほうが面白い。簡単な説明より深く見たほうが、人間の生き方の豊かさが分かるようになります。

紫陽花に寄せて(佐藤 雅代)
[2018年6月29日]

掲載日:2018年6月29日
カテゴリ:言語文化学科

 梅雨の季節を彩る花と言えば、アジサイだろうか。中唐の詩人、白居易の『白氏文集(はくしもんじゅう)』に「紫陽花」と題する漢詩がある。「名前の分からない珍しい花木がある」と案内された寺で、白居易は詩を作り「与君名作紫陽花」とこの花木を命名した。ただし、中国のアジサイと日本のそれとは別種である。現在、日本でよく見られる手まり型のアジサイも、近代に品種改良されたもので、それ以前のものは、ガクアジサイやヤマアジサイを指すと考えられている。また、日本の古典文学作品において、アジサイは散文にはほとんどあらわれず、主に和歌や俳諧など、詩歌の題材とされた。

 奈良時代に成立した最古の歌集『万葉集』には、アジサイを詠んだ歌が二首あり、そのうちの一首を引用してみる。

◆言問(ことと)はぬ/木すらあぢさゐ/諸弟(もろと)らが/練(ね)りのむらとに/あざむかえけり(大伴家持)

 難解な歌で、解釈に諸説あるが「物を言わない木の中にも、アジサイのように移ろいやすいものがある」とする説に従うと、色変わりする属性が、文学の素材とされた早い例ということになる。紫陽花の色が変化するのは、土壌の酸度によるもので、酸性では青色、アルカリ性では桃色になる。

 明治時代に歌人としても、俳人としても活躍した正岡子規は、紫陽花の色の移ろいやすさを人間の心の移ろいやすさに喩えた、次のような俳句を残している。

◆紫陽花や/昨日の誠/今日の嘘(正岡子規)

 筆者が大学に専任として職を得た時「環境の変化に屈せず、他人の評価に惑わされず、自身の学問の誠を貫け」と励ましてくれたのは亡き恩師である。私はそれができているだろうか。自問自答する日々の中で、

「紫陽花に/昔を偲ぶ/雨の道」と一句詠んでみた。


はなみずきの会(谷一 尚)
[2018年6月6日]

掲載日:2018年6月6日

 本学中庭の池周囲に、花水木の苗木が植えられたのは1974(昭和49)年。花見可能となった87(昭和62)年から、この満開の花の下で毎年4月末頃、県内の外国人教師や留学生を招き園遊会が開かれた。筆者の一度目の本学赴任はその翌88(昭和63)年4月、新設の国際教養学科教員としてであり、懐かしい幾多の思い出が去来する。

 憲政の神様、尾崎行雄が東京市長の12(明治45)年、ウィリアム・タフト第27代米大統領夫人の希望で3千本の染井吉野桜の苗木をワシントン市に贈った(一度虫害で焼却され、追加で2千本送る)返礼として、15(大正4)年に贈られたのが花水木。ポトマック河畔の桜は今も健在だが、日比谷公園や東大理学部附属小石川植物園に植えられたそれは、戦時中に敵国植物として引き抜かれたり、落雷等で枯れたりし、現在原木は筆者自宅すぐ近くの東京都立園芸高校にある1本のみ。本学の木もその子孫。昭和天皇の居間に戦時中も交戦国元大統領リンカーンの肖像画が掛けられていたのと同じく、その差のなんと大きなことか。

 染井吉野と同じく花水木も、葉が出る前に花をつけ、花見に最適。北米原産とはいっても、東海岸からミシシッピ流域の自生で、もともとメキシコ領だった山岳部や西海岸にはない。筆者の大学同級生が園長・教授を務めていた東大植物園の切株は、戦後に掘り起こし、現在、尾崎ゆかりの憲政記念館に展示されている。日米と世界が辿った足取りをもう一度見つめ直すよい機会として、本学のはなみずきの会も復活させたいものである。

門田界隈 (濱田 栄夫)
[2018年5月28日]

掲載日:2018年5月28日

 本学は、操山に連なる丘陵地(地理学的には操山山塊)の山麓に位置している。操山は、古くからの二本の街道(山陽道と牛窓街道)が吉井川、百間川をへて、岡山城下の京橋近くで合流する前に、その二本の街道にはさまれて位置する小高い山である。操山に登ろうとすれば、東山行の電車の終点で降りて、東山交番所の右横当りから歩くか、護国神社に隣接した奥市グランドに面した登山口から歩き始めるとわかりやすい。

 この東山電停と、ひとつ手前の門田屋敷電停との間一帯は門田界隈と言われている。この当りの一角(玉井宮・東照宮の側)に、明治12年に木造の西洋館が三棟建てられ、そこに三組の宣教師家族が住みついたことから、この地域一帯に近代化に向けての新しい風が吹き始めた。山陽英和女学校、薇陽学院などの中等教育施設が建ち、岡山孤児院が開設され、岡山博愛会運動が展開された。やや遅れて明治33年に第六高等学校がすぐ隣接地域に建てられた。

 そこに集った人々は、キリスト教の信仰態度・人間観に触発された人々を中心に独自なネットワークを形成し始める。そしてそのネットワークは確かな足どりで展開され、やがて全国的にも注目されるようになる。それは全国的に見てもきわめて質の高い人間関係に支えられたネットワークだった。2012年に刊行した拙著『門田界隈の道 -もう一つの岡山文化』は、その地域で活躍した人々とその業績についての私なりの歴史解釈の試みである。

 また、気候が良いとき、山陽学園発行の「SANYO HISTORY MAP-旭川の東 操山の麓-」を片手に散策されることをお勧めする。

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画像は「SANYO HISTORY MAP-旭川の東 操山の麓-」の抜粋

「ハナミズキに想う」 学長 齊藤育子
[2018年5月1日]

掲載日:2018年5月1日

何の花が好きですかと問われたら、「白いハナミズキ」と迷わず答えます。学内には、白い花水木がたくさんあって、緑の葉と共に風にそよぐ様子を見ていると不思議と穏やかな気持ちになります。花水木は、ご存知のように白や赤そしてピンク色がありますが、花弁にみえる総苞は4枚で、ちょうど十字架のように見えます。最近になって花水木の花言葉が、「私の思いを受け取って」とのことを知りました。学内に花水木をお植えくださった先達の思いを受け継ぎたいと切に願っています。

花水木について調べてみると、大正期に当時の東京市長が、ワシントンD.C.にサクラを贈ったことへの返礼として、アメリカから贈られたとのことです。麗しい話と思っていましたが、第二次大戦中に敵国から贈られた木ということで、日本では伐採したり引き抜いたりしたのだそうです。なんとも悲しい話です。そうした時代には、二度と戻ってはならないと強く思います。

同じ花でも一つ一つをよく見ていると、大きさや色合いや形がそれぞれに違い驚かされます。亡くなられた百歳の詩人まどみちおさんの「どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている」という詩と一緒に、ガントレット宣教師から贈られた花をご覧になって発せられた上代淑先生の「天然の巧妙驚くべく、また感ずべし」との言葉をも思い出します。私たち人間も、唯一無二の存在として大切に生きたいものです。

20170516-125131